バルセロナオリンピック金メダリスト 岩崎恭子 来熊
- 投稿日2019年09月20日
先日、「日本大学校友会 熊本県支部 創立100周年記念総会」で日本大学出身でバルセロナオリンピック 金メダリストの岩崎恭子氏の特別講演を聞く機会がありました。演題は「泳縁」。
競技者として常に前を行く姉を追いかけ、大会に出場。
バルセロナ五輪選考会を兼ねた日本選手権残り1枠を姉と争うこととなり、周囲の予想に反して出場権を獲得した。
世界ランクは14位、メダル候補にも挙がらない無名の選手だったが、本番で驚異的な成長をみせ、当時の五輪記録を塗り替えるタイムで競泳史上最年少金メダリストに輝く。
1992年14歳で出場したバルセロナオリンピックで、競泳女子200m平泳ぎで金メダルに輝き、競泳史上最年少の金メダリストとして一躍時の人となった岩崎恭子氏。
「今まで生きてきたなかで、一番幸せです!」という言葉は流行語にもなったほど。
しかし、「次のオリンピックでも結果を出して当然だ」という周囲の期待が大きなプレッシャーとなり、バルセロナ大会後の2年間は思うような結果を出せなかったと。
そのような中の1994年7月、アメリカ・サンタクララで開催された国際水泳大会のメンバーとして遠征に臨みます。
そこは初めての海外遠征で訪れた場所。
楽しく泳いでいた当時の記憶をよみがえらせて自分を取り戻し、1996年のアトランタ大会にも出場し10位入賞を果たします。
そして20歳で現役引退し、その数年後に小学生を対象とした水泳指導を依頼されます。しかし思うような指導が出来ず、コーチとしての専門知識を身につけるために一念発起して1年間のアメリカ留学を決意。
そこで思ったこと、感じたことを言葉で表す重要性を認識したという岩崎氏。
信頼関係を構築するうえでも言葉は不可欠で、その影響もあり何でも口に出して言うように変わったとも。
岩崎氏はアトランタ大会ではメダルを獲得することができなかったものの、主体性を持って目標を立てて臨んだ大会であったため人間として大きく成長できたと語ります。そして講演を訪れた人に、「自分からやる」ことと「人にやらされる」ことの違いを示し、何事にもいろんなご縁に感謝し、自分から楽しんで積極的に取り組まなければ結果は出せないことを教えてくれました。
講演中にはなんと、聴講者にバルセロナオリンピックの金メダルを回していただき、貴重な金メダルを実際に手にすることができ、貴重な体験をすることが出来ました。
院長 三隅 賢祐